設立趣意書(1977/2)

日本科学教育学会 設立趣意書


 現在の日本の理科教育の実情をみると,小・中学校では概して自然の観察,あるいは簡単な実験操作による帰納的学習方法がとられているが,中学校から高等学校の段階では,しばしば,物理,化学,生物,地学等に関する多くの事実,概念,公式,法則等の知識が既成のものとして教え込まれており,生徒の好奇心を誘発したり,創造力を養うような目標にはそぐわない傾向がある。しかもその傾向は,上級学校への進学のための入学試験によっていっそう助長されつつある。数学教育は,理科教育とは自から異なる性格のものではあるが,現実には類似の問題をかかえている。

 このような状況に対しては,すでに関係する教育者や研究者の中に反省や批判が起こり,改革のための種々の提案が示されている。従来,数学,物理,化学,生物,地学の各教科等について,あるいは小・中・高の校種別に,各種の学会,協会,研究会等において科学教育に関する調査,研究,試行が行われてきたが,科学教育を一つの学際的科学として研究することを目的とした組織は欠けていた。

 最近9年にわたって行われた文部省科学研究費補助金による,特定研究科学教育の活動を通じて,われわれは,そのような組織として新しい学会の必要性を痛感するに至った。実際にこの特定研究に参加した研究班は,研究対象や研究手段においてかなり多種多様であり,研究発表会や合同シンポジウム等を通じて相互の連絡を図り,共通目標を求めようとしたが,それは容易に達成されるものではなかった。しかし,科学教育を科学的,工学的な方法によって,あるいはさらに広い思想的,文化的基盤の上に立って研究しなければならないという意識は,関係者の間で次第に高まり,ここに日本科学教育学会設立の機運が到来したのである。

 さて,この日本科学教育学会の主な目標を何に置くべきかは重大な問題である。その事業が既設の各学協会のそれとは異なる独自のものであるべきだが,それらの既設学協会との相互協力関係をも維持しなければならない。

 本学会の一つの目標として考えられるのは,抽象的表現ではあるが,たとえば科学教育は何人のために,何のために役立つべきかの問題を根本的立場から問いただすことである。それは従来のわが国の科学教育が,ややもすると,技術や産業の基礎としての科学の効用性を暗示する実用主義に傾いていたことに対する反省の上に立って,より広い観点から,人間の全文化の一翼としての科学の立場と,その特質を明らかにすることだといいかえてもよいであろう。あるいは科学を専門としない人たちが,科学や技術は物質的,非人間的なものだと考える風潮に対して,科学や技術もまた芸術や文学や宗教と同様に,人間性と切り離すことのできないものだということの理解を,多くの人々の間に広めることだといってもよいであろう。

 つまり,あまりにも専門化し,技術化した現代の科学を,自然哲学の立場にまで戻して,その教育的意義を考察することである。

 このような考え方は,高度に発達した現代の技術社会において,無縁なものだと主張する向きもあろう。また,それは優れた科学者や技術者の養成のための教育においては,まわり道だと考える人もあろう。

 しかし,これからの社会においては,比較的少数の優れた専門家の影響力のみならず,また大多数の一般人の影響力は重大であり,それら後者に対する科学教育の在り方について,特にじゅうぶんな考察,研究がなされなければならない。このことはもちろん,前者の教育を犠牲にすることを意味するものではない。

 本学会の事業の一例として考えられることは,初等,中等,高等教育各層の教育者, 関係諸分野の研究者が,なるべく共通な話題を通じて互いに啓発し合い,自由に討論しうる場を作ることである。

 それらの事業は,あるいは機関紙を通じて,あるいはセミナーやシンポジウムを通じて行われるであろう。また,問題に応じて自然科学の基礎や応用に関係する人々のほかに,哲学,歴史,文学,芸術等の専門家との交流も図るべきであろう。さらに望ましいことは,海外における関連ある研究組織,たとえばUNESCO,ICSU/CTS等との情報交換,国際会議,国際セミナー,国際シンポジウムの開催を計画,実施することである。

 本学会は,上述のような一般的目標を掲げながらも,特定のイデオロギーにとらわれることなく,およそ科学教育研究に関心をもつ多数の人々の参加を要請する方針を維持し,常に会員の要望にこたえるように運営されなければならない。それによって,会員のための会として独立存続の基礎を整え,本学会の活動が,広く公共に支持され,わが国科学教育の進歩発展に寄与し,ひいてはわが国文化の向上に貢献することを期するものである。

昭和52年2月       
日本科学教育学会